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地震前兆・予知

 中国・四川大地震の発生(12日)前に、中国各地でヒキガエルが一斉に移動するなど動物の異常行動(宏観(こうかん)現象)が目撃されていたことが、分かった。阪神大震災(1995年)や台湾中部地震(99年)などでも、宏観現象について報告があり専門家は「地震予知につながる現象。事前に予知して備えれば、減災にも役立つ」などと関心を示している。
 香港紙などによると、四川省綿竹市では今月5日、数十万匹のヒキガエルが一斉に移動するような行動をしたという。また、北京動物園でも揺れが伝わる直前に、チンパンジーが突然奇声を挙げてガラスを割ったとの報道もある。
 宏観現象に詳しい弘原海(わだつみ)清・大阪市立大名誉教授(情報地質学)によると、阪神大震災や台湾中部地震の際にも、いつもいるネズミが姿を消した▽数万羽のスズメの大群が飛んでいた▽大量のミミズが一斉に震源と反対方向に移動していった−などの異常行動が確認されていたという。
 そのうえで、今回の地震について、「異常に気づいた地元住民が当局に伝えたが、何の対応もなかったとの情報もある。事前に備えていれば、大きな被害は避けられたかもしれない」と指摘している。
 一方で弘原海教授は、中国は宏観現象を生かした地震予知の“先進国”とも指摘。75年に遼東半島付近で発生したマグニチュード(M)7・3の海城地震の際に、宏観現象や同半島付近での前震活動などから大地震の発生を予測、政府が発生直前に住民を避難させ人的被害を最小限に食い止めたという。
 翌年の唐山地震(M7・8)では前震活動が少なかったことなどから住民の避難をさせず約24万人ともいわれる死者を出したが、宏観現象は確認されていた。
 弘原海名誉教授は「動物の異常行動は非科学的と見られがちだが、地震予知につながっているのは事実で、日本でも活断層の研究や様々な観測、緊急地震速報と合わせて宏観現象に着目すれば、地震予測につながるのではないか」と話している。
-産経新聞-

 世には容易に理解しがたいことが起きるものである。文中の宏観現象が「非科学的」であるという指摘を受けるとのことだが、「非科学」という定義は人間が現状で用いることの出来る科学的手法による分析の範疇外にあるというだけのことであり、それは真実性と常に連動しているわけではないのである。人間科学の方が未発達であるということはザラにあるのだ。
 世界における動物の異常行動や地震雲の存在などが「天災を予期していた」との事例は枚挙に暇がない。こういうことが分からないのは人間だけなのかもしれない。人類700万年の歴史の中で、天災という自然の異常現象を生物として予知・予感する能力を人間は徐々に失ってきた可能性がある。歴史学者トインビーは「人間が新しい技術により利便性を獲得するとき、その新規性は以前の能力を完全に補完するものではなく、元来の機能を失うという大きな損失を伴う」というようなことを述べているが、人間も文化や技術を発展させてきた一方で失われた能力も少なくないという指摘にはうなづける部分がある。カエルやチンパンジーやスズメには分かって、人間には分からないというのだから、生物というものの奥深さというか神秘性というか、そういうものを感じないわけにはいかない。イルカはテレパシーのようなものを使って仲間と交信しているとも言われるが、人間にもかつてそういう能力はあったのかもしれない。現在でも「虫の知らせ」や「霊感」のようなものを日常的に感じ取る人もいるし、不安がよぎるタイミングで身内に事故があったり、目には見えない気配に敏感な人がいることも知られている。それらの能力は人間がもともと持っていた機能が退化しつつも、いまなお残存しているものであるかもしれない。

 ともあれ、宏観現象については統計学などを用いて高度に分析して欲しいものだ。大地震のような幾万もの生命に関わるような天災に対して人間は基本的に無力である。予測が出来るならば、地震震源からいち早く離れることが何よりも望ましい。そうした天災予知の根拠としては、宏観現象が「ささやかれる」だけではまだまだ役に立たない。もう少し世界から統計を集め、可能な限り科学的分析をかけて一般に説得力を持たせる努力は必要であろう。こうした分野の学問がそれ自体で確立することがあってもおかしくはないかと思われる。脳科学がもてはやされる今日であるが、脳内にこうした事象を感得するような「野」はあるのだろうか。科学の進展により、人間を含めた生物の不可思議さが益々解明されていくことを願ってやまない。そして科学が真に人間を守り、自己を開発していける学問へと昇華することを強く望むものである。
| 科学 | 03:21 | comments(15) | trackbacks(2) |

<ヒトiPS細胞>バイエル薬品先に作成 山中教授抜く

 バイエル薬品(大阪市)神戸リサーチセンター(昨年12月に閉鎖)の研究チームが昨年春、京都大の山中伸弥教授らのチームより早く、ヒトの「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を作成していたことが分かった。すでに特許出願も完了しているとみられる。バイエル薬品が特許を取得した場合、iPS細胞の医療への応用など実用化に大きな影響が出る可能性がある。 
 作成したのは、桜田一洋センター長と正木英樹研究員、石川哲也主席研究員(いずれも肩書は当時)らのチーム。同センターはバイエル薬品と日本シエーリングの経営統合に伴い昨年12月21日に閉鎖された。チームは同日、論文を投稿。今年1月31日付のオランダ科学誌「ステム・セル・リサーチ」電子版に掲載された。
 桜田氏らは、山中教授らが06年8月にマウスiPS細胞の作成を発表した直後から、ヒトでの研究を始めた。論文によると、新生児の皮膚細胞に、山中教授らと同じ四つの遺伝子を導入し、胚(はい)性幹細胞(ES細胞)と極めてよく似た分化能力を持つ幹細胞を作った。遺伝子の導入過程で使うウイルスの一つは山中教授らと異なる種類を使うなど、複数の点で独自のアイデアがみられる。
 桜田氏はセンター閉鎖後、米国の大手投資会社が設立したベンチャー企業の科学担当最高責任者に就任した。毎日新聞の取材に対し桜田氏は「バイエルとの秘密保持契約があり、作成に成功した時期や特許出願については明らかにできない」と話しているが、「センター閉鎖のため、実質的な研究は昨年10月下旬に完了した」(桜田氏)ことや、iPS細胞の培養期間が約200日と論文に示されていることなどから、遅くとも昨年5月上旬には作成に成功したと推定される。一方、山中教授と米・ウィスコンシン大の各研究チームは昨年11月、ヒトiPS細胞作成を論文で発表した。山中教授らが成功したのは、過去の発言などから昨年7月ごろとみられる。
 桜田氏は「山中教授のマウスiPS細胞という独創的な成果が最初にあった。実用化には、高い技術を持つ日米の協調が不可欠で、良好な関係を築くために私も精いっぱい努力したい」と話している。
-毎日新聞-

 個人的にも注目度の高いiPS細胞に関する驚くべき発表である。実験成功という事実自体は非常に喜ばしいものだが、こうした「人類の技術」が仮に独占されるような仕組みを持ってしまった場合、特許保有者の利益以上に人類益を損失しかねない事態となる。研究開発には膨大な経費がかかったであろうからその回収は当然認めるとしても、技術を必要とする患者が多大な負担を強いられたりするのは許されることではない。
 iPS細胞に関する特許が人類に何をもたらすか。その動向を注視しなくてはならない。
| 科学 | 12:08 | comments(8) | trackbacks(0) |

ES細胞から網膜再生へ

 あらゆる細胞に分化する万能性を持つヒト胚性幹細胞(ES細胞)から、網膜の細胞を効率よく作ることに理化学研究所と京都大の共同研究チームが成功した。細胞移植によって網膜を再生できれば、失明の恐れがある網膜疾患の根本的な治療法につながると期待される。米科学誌「ネイチャー・バイオテクノロジー」(電子版)に3日、掲載された。
 視野が著しく狭くなる網膜色素変性や、視力が低下する加齢黄斑変性などの網膜変性疾患は、高齢者の失明原因の上位を占める。網膜はいったん損なわれると修復が極めて困難なため、有効な治療法はほとんど確立されていない。
 理研発生・再生科学総合研究センターの高橋政代チームリーダーは「安全性の検証などまだ多くの課題があるが、10年以内に臨床応用の試験を開始したい」としている。
 研究チームはマウスやサルのES細胞を使った実験から、網膜細胞を誘導するための2種類の物質を特定。これをヒトのES細胞に使って培養した結果、網膜に栄養を供給する網膜色素上皮細胞や、光を電気信号に変えて脳に伝える視細胞を作り出すことに成功した。ヒトES細胞由来の視細胞は従来、作製効率が0・01%以下と極めて低かった。今回の手法は効率が20〜30%と飛躍的に高まったほか、感染症の恐れがある動物由来の組織を培養過程で使わない利点もあるという。
 研究チームは今回の成果を応用して、人工多能性幹細胞(iPS細胞)から網膜細胞を作る研究にも着手しており、拒絶反応のない網膜再生医療の実現を目指す。
-産経新聞-

 近年、再生医療はその注目の度合いを増している。今回の視細胞に関してはES細胞からの作成だが、やはりヒトES細胞は倫理的問題が付いて回る。この研究成果は適宜iPS細胞からの視細胞作成へと応用されることになるだろうが、なんとしても早期の実現を願うところである。
 それにしても凄い時代となったものだ。自らの皮膚細胞から人工多能製幹細胞を造り出す技術を手にする日が来たとは。他者からの臓器移植では重大問題だった拒絶反応をクリアする期待感が大きいのがiPS細胞である。人類が自らの細胞で人工臓器を自由に造り出す時代になったら、多くの苦しみから解放される可能性は確かに高まる。
 だが一方で、そうした本来は唯一性のある臓器が容易く再生できてしまうことによって、人間を物質視してしまう恐れは更に増すことになる。今や科学的知見の発達というのは、人類に対して人間存在の再定義を迫るほどの勢いと将来性と危険性を持つものでもある。科学の発展度合いに比例して、哲学や倫理が伸びてきたかと言えば、必ずしもそうではないだろう。人間はこの先、人間をどう考えていくのだろうか。科学的発展を目の当たりにする度に、そのことが私の頭をよぎってどうしようもない。
| 科学 | 11:59 | comments(2) | trackbacks(0) |

ヒトの皮膚から人工多能性幹細胞を作製、日米の研究者が成功

 技術革新は止まらない。
 喜ばしいニュースと見る向きもあるだろうが、私個人としてはこうした研究が生み出した成果が「人間はパーツの集合体である」という認識を誘導しかねないものと危惧を抱く立場である。
 例えば、病気の治療のために臓器を移植するにしても、自己の皮膚細胞から培養した「新臓器」があれば、拒絶反応などなく安心して移植も可能になるということだが、果たして「臓器が壊れたから取り替える」という発想が人体に対してまかり通る現実は人間として「まとも」なのであろうかと思うのである。これは決して技術の進歩を嘆いているのでもなければ、危険視しているのでもない。「技術の進歩に人間の精神が追いつかない」状況を恐れているのである。

 耐え難い苦痛を除いたり、生命の維持のためにどうしても臓器移植が必要だったりすることは確かにあるだろう。目の病気で失明しても、新たに自分の目を人工多能性幹細胞から作り出し、入れ替えることが出来るとなれば朗報には違いない(現状では脳神経と視神経の接続は容易ではないから、これにはしばらく時間がかかるであろうが)。とてつもない技術である。思わぬ病気や怪我で臓器を失った人にも希望が見える気分にもなるはずだ。

 しかし、人間はパーツの集合体などではないという認識を忘れてはならないということを主張したい。パーツという考え方は人間生命を物質視し、客体化してしまう危険性がある。いささか「細胞科学」を論ずる趣旨とは異なるのだが、生命を物質視することの果てに待っているものは、相互尊重とは真逆の「相互利用」であり、人間同士をアイテムとしか見ない精神的凋落を誘発しかねない危険性を孕んでいるのである。
聞くところによると、日本人が己の不養生によって欠損した肝臓や腎臓を取り替えるべく、東南アジアなどで臓器提供者を探し買い付けているのだそうだ。相当に乱暴な手術で摘出を図るために、後遺症を残す人も多いのだという。下手をすれば死んでしまうではないか。私は同じ日本人がそのような行動に出ていることに心を痛めるのであるが、つまるところ、そうした行動というのは「人間を物質視」する精神性から発しているものに違いなく、生命の尊厳というものを非常に軽視した結果であるものだと考えるのである。

 技術革新のスピードに人間の精神性が追いつかなくなる時、また悲劇は繰り返す。原子爆弾は大量破壊兵器であったが、こうした生命に関わる技術は何を壊していく可能性があるだろうか。このような課題を我々人類が的確に把握していくことも、技術革新と共に強く求められているように感じてならないのである。つまり「倫理を科学する」ような本格的なシンクタンクというか、学問というか、ラボラトリーというか、そういった機関がどうしても必要になってくるものと考えるのである。
| 科学 | 16:47 | comments(2) | trackbacks(0) |

気候変動により地中海の水温が上昇、海洋生物へ影響も

 これまで人類が天災と呼んできたものは、ほぼ人災に代位しつつあると言える時期に入っているだろう。昨今叫ばれる地球温暖化も自然の寒暖のペースを大きく上回っており、人間の行為によって加速度的に状況の悪化を招いている。
 この記事では地中海の水温上昇問題がピックアップされているが、もはやイタリアという一国家で対処できるような問題ではないのは自明だ。善悪を抜きにして、現代科学技術文明の影響は地球の端々にまで及んでおり、いよいよその危機は全人類に対してリアルなものとなってくるであろう。この期に及んでもまだ各国家は利害関係の調整にのみ奔走するのであろうか。地球的危機に対して国益が優先するとでも言うのだろうか。今の地球を次世代に胸を張って残すことが出来るだろうか。甚だ疑問である。

 どこかの誰かに期待するのではもう遅すぎる。科学によって招いた災禍を、より進んだ科学で退治しようとするのは科学を過信する人間の愚なる行為である。人間は各人が自らの貪欲性と戦わねばならない。貪欲性を担保してきたものが現代科学技術文明の姿でもある。迷走する人類。現在の地球環境がその身をもって人類に危険信号を放っていると言える。国家と言っても突き詰めれば人間の集団。集団と言っても個の集まり。個となれば我々それ自体である。なればこそ、問題は個々の人間そのものに帰着する。今ほど地球の未来を考えねばならない時代は過去にない。今ほど人間そのものの改革が求められている時代はないのである。
| 科学 | 12:51 | comments(2) | trackbacks(0) |

ヒト性融合胚が認可へ

 英政府が管轄する「ヒトの受精・胚(はい)研究認可局(HFEA)」は5日、ヒトの細胞核を、核を除去した動物の卵子に注入して「ヒト性融合胚」を作ることを原則認めると発表した。
 難病の治療に役立てる狙いだが、倫理上に問題があるとして今回の決定を疑問視する声も出ている。「融合胚」の作成は、パーキンソン病やアルツハイマー病などの原因究明に有効とされ、英ニューカッスル大とロンドン・キングスカレッジの二つの研究チームが、研究用に不足するヒトの卵子を補うため、牛やウサギの卵子を利用した研究などの承認を申請していた。「融合胚」の99・9%はヒト、残り0・1%は動物に由来する。今回の申請認可は世界初との報道もあり、早ければ今年11月にも研究が始まると見られる。
-読売新聞-

 いつか来るとは思っていたが、ついに「ヒト」がターゲットである。産業革命の発祥地・イギリスが認可するとなると、何かの因果を感じられずにはいられない。物質を科学的分析にかけて飛躍的に人類の利便性に寄与した産業革命だったが、今日我々はその「負の遺産」も目の当たりにしている。有限の地球資源を膨大に消費し続けるエネルギー社会を作り出したのも産業革命であり、「物質的欲望の解放」という人間の本質に根ざす貪欲性を喚起したのもまた産業革命であった。これは人間そのものが貪欲性を露わにした容易に戻れない事態なのである。この負の遺産は全く科学的手法によって解決され得る類の問題ではなく、あまりにも急速な科学の発展により盲目的にその可能性を信じてしまうようになってしまった人類は、その一方で失ったものの大きさになかなか気付けないでいるのが現状である。科学そのものに善悪はない。用いる人間にそれは宿る。人間は一体どこに進もうとしているのか。それを見失い、あるいは勘違いしている昨今ではあるまいか。
 今、世界は科学技術の恩恵により本当に利便性の拡大、安定共存の方向に向かっているだろうか。それともエネルギー枯渇、人口爆発、食糧問題、大量破壊兵器による殺戮行為、環境破壊及びそれに伴う天災、新種の病や全く未知なる危機など、(神の裁きなどの予測不可能なものではなく)人類自らの手で人類滅亡の方向に舵を切ってしまっているのだろうか。そのようなネガティブな予測が頭をもたげずにはいられない。

 今回の研究認可には率直に危機感を覚える。何も「倫理的に」という判断だけではなく、西洋的分析手法で病気の全体像がわかるとはどうしても考えられないということもある。難病治療と言っても病は西洋の科学的手法による分析によって解明し尽くされたわけでもなく、これほど西洋的手法が取り入れられた現代にあって病人はまるで減っていないというのが私の実感である。手術は高度になり、薬はそのクオリティを上げているはずだが、一向に病の勢いは衰えていない。事実、病院のベッドは空くどころか常に満員ではないか。病に取り組むスタンスは決して悪いことではない。だが、風邪一つも根治できぬような現状で難病を根治するというのか。病気の分析は、体のどこかの箇所が悪いというのではなく、総体的に人間を把握するスタンスが必要であろう。心身相関関係を的確に捉え、種々の難題に立ち向かおうとする深みと幅のある科学的分析が求められていよう。人間精神を「気休め論」などと軽んじてはならない。精神と肉体は渾然一体として脈動しているのだ。それが人間という生き物の実像である。肉体の一部を断片的に観察するだけで病気を分析できるなどというのは科学の過信である。
 パーキンソン病やアルツハイマー病も「それ自体」の追求はもとより、人間と環境、精神と肉体、遺伝と病気など、種々の要素を断片的に分析するのではなく、全体観に立った知見が必要である。今回のように人間そのものの一部を実験材料に供しようとするのは、全く新規の問題を生み出す土壌になりかねない。産業革命は後戻りできないほどに社会を良くも悪くも一変させた。それは人間すら客体化し、物質視するスタンスを築いた悪しき歴史をも包含している。ヒトの胚を作り出す行為は人間を物質視している証拠に他ならない。この考え方自体が社会を誤って先導してきた一因でもあるだろう。
ともあれ、今回のこのイギリスの決定を国内が、世界がどう見るか。慎重に見守りたい。
| 科学 | 18:15 | comments(2) | trackbacks(0) |

ゴリラと人間の分岐点、定説はるか以前?…新種の化石発見

 日本などの研究チームが、エチオピアで新種の大型類人猿の歯9本の化石を発見した。

 1000万年以上前に生きていたゴリラの祖先と見られ、これが事実なら、「ゴリラと人間の系統が分かれたのは800万年前」とする従来の定説は再考を迫られることになる。23日付の英科学誌ネイチャーで発表する。
 研究チームは、この化石を周辺の地質年代から、少なくとも1000万年前の類人猿と分析。発見した地名にちなんで「チョローラピテクス」と命名した。さらに、歯の形を現在のゴリラと細かく比べ、繊維質の茎や葉を主に食べるゴリラの奥歯と同様の特徴があることを突き止めた。この化石がゴリラ直系の祖先なら、分岐年代は定説より200万年以上さかのぼることになるという。
-読売新聞-

 この分野の学問はどんどん時代を遡り続けている印象が強い。そもそも人類発祥年代と言われるものも今や700万年前まで遡っている。相変わらず場所だけは「アフリカ」から動くことはないのだが。
 地球の歴史約46億年から考えると、霊長類の系統はかなり最近登場したことになる。近年の科学技術の進歩により我々の祖先の様子がわかりやすく伝えられるようになった。宇宙の根源を探ったり、人類の祖先探しをしたりするのは、「人間とはどこから来て、どこへ行くのか」という疑問が常に人類の中にあるからだ。そうした探求は心から歓迎するものだが、この先の我々の子孫に地球をきちんと引き継いでいけるかどうかが心配になることがある。環境問題もエネルギー問題もその解決を未来に先延ばし続けている状況を見る時、祖先探しと同様の真剣さと誠実さを持って、現代的課題に取り組まねばならないと思うものである。
| 科学 | 15:23 | comments(2) | trackbacks(0) |

卵子だけから子、成功率3割=マウス遺伝子操作、実用水準に−東京農大

 マウスの子を雄の関与なく、卵子だけから誕生させることに2004年、世界で初めて成功したと発表した東京農業大の河野友宏教授らが、この遺伝子操作技術を改良し、正常な成体まで成長する割合を0.5%から約30%まで高めた。米科学誌ネイチャー・バイオテクノロジーの電子版に20日発表した。成功率は体外受精に近く、実用的な水準とみられる。
 人間を含む哺乳(ほにゅう)類は通常、魚類や鳥類と異なり、子が卵子だけから生まれる「単為(たんい)生殖(単為発生)」は起きない。研究成果は、なぜ雌雄による生殖に進化したのか、その理由の解明につながるとともに、優秀な雌が必要な乳牛などの効率的繁殖に応用が期待される。
-時事通信-

 今朝の読売新聞にも同様の記事があった。ますます「男」の役割がなくなっていく危惧を抱かざるを得ない話題。本文中の「雄の関与なく」という文言に恐ろしく冷えた感覚が背中を伝っていくのを男ならば隠せないであろう。

 話の枕はこの辺までにしておいて…。
 
 さて、生物に備わるプログラムで一番根源的なものは「子孫を残す」ことである。「子孫を残すために生きている」とすら受け取れるほど、行動パターンは一貫したものであろう。これは何故?という疑問がなじまない定理である。人間以外の生物の行動はあらゆる点で子孫継承に結びついていると言って外れていない。雄と雌の生存中の役割が分かれているのも、子孫を残すための最良の手法をその生涯の中で選択するためであると見る。だが、この実験のように卵子だけで子孫が誕生するとなると彼らが構成する社会は確実に変容を強いられるだろうし、場合によっては種が滅ぶということもあるだろう。それと、卵子だけで誕生するマウスは全て「雌」になるのだそうだ。雌だけの(あるいは雄だけの)構成社会はやはり彼らの秩序を破壊するものと想定されよう。
 遺伝子に手を加えるという行為もさることながら、生物本能としての子孫残しを作為的に達成させられてしまったら、生物の生き様は一体どうなっていくのだろうか。こうした人工的な遺伝子操作というものも、マウス側から見ればただの「天然の環境変化」に過ぎないのだろうか。マウスの立場からすれば人間は環境であろう。その環境が否応なしに自分達の存在を左右してしまうほどの「環境」なのだとしたら-人間が大地震に立ち向かえないように-彼らはあきらめる以外にないのだろうか。そんな言葉が頭をかすめる。

 それにしても脅威を感じないわけにはいかない内容の技術であることは確かだ。哺乳類ではこうしたことが出来ないと記事本文前半で安全・安心を謳っておきながら、本文末では「優秀な雌が必要な乳牛などの効率的繁殖に応用が期待される。」などと、恥ずかしげもなく哺乳類への応用を示唆している点(つまり人間にだって応用可能だということ)など、歯止めの利かない人類の身勝手さが見て取れる。
 科学技術の進歩は何のためにあるのかという倫理的観点・道徳的観点・思想的観点・宗教的観点との有機的な接続が今ほど必要な時代はないという感慨を新たにしたニュースであった。
| 科学 | 17:40 | comments(2) | trackbacks(0) |

北半球の降水量増加、人為的活動が影響

 化石燃料の燃焼に伴う温室効果ガスの排出など人為的な活動が、20世紀中の降水量の変化に大きな影響を及ぼしていたとみられることが、日米などの国際研究グループのコンピューターによる分析でわかった。26日付の英科学誌ネイチャーに発表される。

 研究グループでは、1925〜99年までの75年間の観測値を基に、温室効果ガス排出など人間の活動による影響のみを考慮した気候変動モデルと、火山からの粉じんの排出、日射など自然の影響を、人間活動に加えたモデルによる降水量の変化の違いを比較した。
 その結果、温室効果ガスなどの排出が多い北半球の中緯度(北緯40〜70度)では、過去100年間で年間降水量が62ミリ・メートル増加したうち、50〜85%が、人為的な要因とみられることがわかった。逆に、北緯0〜30度の亜熱帯、熱帯地域では、年間降水量が98ミリ・メートル減る乾燥化傾向があり、そのうち20〜40%が人間活動に伴う影響と分析された。
-読売新聞-

 世界の大都市のほとんどは北半球にあることが知られている。大都市の経済活動規模の大きさは周知の通りであるが、それは同時に二酸化炭素の排出幅が大きいということをも意味している。日々莫大なエネルギーによって我々の社会は支えられているが、大量に発生する二酸化炭素を自然が吸収するスピードが追いついていない。温室効果ガスの増大による地球温暖化が叫ばれるこの頃だが、降水量も人為的影響により増加しているという今回の報告はそれぞれ密接に連関した事象なのであろう。
 こうした地球規模での難題は、対象が巨大すぎて我々一人一人の人間にとって本当の意味での「深刻な課題」であると受け止められていないのが現状である。その故か、全く個別的な人間の欲望は抑制の効かない幼子のような様相を呈しており、より事態は深刻さを増していると考えていいだろう。20世紀から21世紀にかけての世界気候の激変は、まさに「タガ」の外れた人間の欲望が形を変えて噴出してきたものである。人類は環境の悪化を防ぎ現状からあるべき姿に回復させるには「優れた技術の到来」を期するしかないという態度に終始してしまうのであろうか。
 いや、それではあまりに失うものも大きい。取り戻さねばならぬのは環境であるのは当然として、環境と一体不可分の存在としての本来の人間性そのものではないだろうか。科学が発達して分析が緻密になることは大いに結構なことである。そして同時になされねばならないことは、人間が人類の課題を直視し、自己の態度を改めていかんとする心構えであり、その小さな歩みを実際に一歩踏み出して具体的な行動に還元していくということであろうと思われるがいかがであろうか。
| 科学 | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) |

ラニーニャ現象?!

 気象庁は24日、6〜8月の3カ月予報を発表した。今後1、2カ月で太平洋赤道域西部の海面水温が高くなる「ラニーニャ現象」が発生し、日本付近で太平洋高気圧が強まる見込みで、全国的に平均気温が高い傾向となる。降水量は北日本日本海側で多く、東日本太平洋側で少ないが、それ以外は平年並みの可能性が高い。
 国土交通省は同日、四国や中部で降水量が少なく、ダムの貯水量が減っているとして、2年ぶりに渇水対策本部を設置した。気象庁の予報の内訳では、東日本日本海側の8月、同太平洋側の7、8月、西日本日本海側と太平洋側の7月について、降水量が「少ない」確率が40%と、「平年並み」や「多い」の各30%を上回る。
- 時事通信 - 

 ラニーニャ現象…。普段あまり聞かない現象だが、結果として太平洋高気圧が強まる原因の現象だそうだ。世の中は人間が発見できたものだけを「〜現象」と「〜の法則」と呼ぶことになっているが、気象学はかなりカオス的な要素が強い分野である。太平洋高気圧を強める現象としてこのラニーニャ現象が挙げられているが、同時にその勢力を削ぐ何らかの現象が起きることもないわけではなかろう。「一寸先は闇」というほど科学があてにならないわけではないが、「神の目」ほど先を見通せているわけでもない。そのくらいに構えている方が科学的分析という言葉に振り回されずに済むのである。気象庁による3ヶ月予報ということだが、鵜呑みにすることなく、まずはこの「ラニーニャ現象」のその後に注目したい。

 さて、それとは別にダムの貯水量が低下して渇水が心配されるという。実際生活のうえで「渇水」という経験をしたことはないのだが、ちょっと想像するだけどもその不便さは言語に尽くしがたいのではないかとも思えてくる。ここまで交通や輸送が発展している現代において、未だに気象に多く左右されてしまう水問題に政治はいかに取り組んできたのか。水が期待できないイラクにて自衛隊はその技術で水を供給していたはずだが、そうした智慧は国内で応用できないものなのだろうか。非常に多くの分野での世界屈指の技術力を誇り、温暖湿潤気候帯にあり、四方を加えて海に囲まれている日本が水不足に悩まされるというのはどうしても奇異に思えてならない。現実問題として水の安定供給は難儀な課題なのであろうが、是非とも政治の智慧も科学の智慧も共に連帯しながら問題解決への方途を模索してもらいたいものだ。
| 科学 | 18:13 | comments(2) | trackbacks(1) |

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